ウェブがもたらすOpen Laboratory


僕が所属していた研究室は今年で教授が定年ということで研究室ごとなくなることになっています。今日は教授の最終公演ということで一日中、大学で準備などをしていました。
公演の最後に、「宇宙研究はお金にならないが、なぜ世界中で行われているのか」という質問が出た。先生の回答は「学問追求は人間の欲求の一つであって、音楽などの芸術と本質は同じあり、お金にならないとしても人間は宇宙研究をやめない」だった。
学者は社会から離脱していて、経済観念が鈍いとは思うが、それが苦手というわけではなく、人間の欲求のままに生きているということを実感した。幼稚園や小学生の時にモノに対して抱いていた、どうしてだろう、なぜだろうと、いう本質を突こうとする思考を大人になっても純粋に持ち続けている人たちでありそれが楽しくてしょうがないのである。前回書いた、"お金儲けに興味がないリードプログラマ"も同じ感じで、プログラミングをすることが楽しくてしょうがなく、創造物を発表する場が論文ではなくウェブなのかもしれない。
そんな感じで考えていくと、ウェブの進化は学問領域にも大きな影響を与えるような気がしてきた。大学という組織から学会に発表するという従来の研究方法はなく、オープンソースプロジェクトと同じように、ウェブを媒体に研究効率と学問追求だけを考えて、世界中から研究した人を集って「距離」や「時間」に関係なく研究する人たちが出てくるのではないかということ。ウェブを媒体にしたOpen Laboratoryはすでに存在するとは思うけど、歴史ある基礎研究(物理、数学、化学など)で行われることに大きな意味があると思う。ソフトウェアとは違い表現方法が難しいが、PCのユーザビリティーが高まれば無理ではない話だと思う。梅田さんがいう文型のためのオープンソースプロジェクトも可能なのではないだろうか。
もしもそのような学問スタイルが確立したとしたら、大学のヒエラルキーや学閥などを通り越して、世界中で眠っている学者肌の人たちも活躍するような世界になるような気がする。